登山にも守るべきルールはある
登山は歩いて山に登り、下りるという極めて単純なスポーツ、レジャーですが、街中を歩くときに信号を守るのと同じで、登山にも守るべきルールが存在します。しかし、その多くは法律のように明確に定められたものではなく、登山の歴史の中で先人たちによる経験が共通の知識、知恵として継承されて来ました。
登山がまだ冒険として大いなる自然と未知への挑戦であった時代、登山者の多くは山岳会や学校の山岳部など同じ趣味を持つもの同士が集まり、力を合わせて困難な冒険を成し遂げる中で先輩から様々な知識を得ていました。それは生きて帰るためであり、円滑に登山を行うためであり、無用なトラブルを避けるためにも共通のルールが必要だったのです。
今では、登山道も整備され、コースタイムまで示された正確な地図が誰でも手に入るようになり、登山装備も進化して組織の力で登る必然性が薄れたことから、より少人数のグループで登られるようになりました。そのためにこれまで継承されて来た知恵も忘れ去られ、自己流の自分勝手な登山をする者がトラブルを起こすことが増えているようです。このページでは、当サイト管理人が知る限りの知識を皆様にも知っていただくために、一通り書き出してみたいと思います。
強制になるということではないことが望ましい
ただし、ルールを守ろうとするあまり、他人にまで義務として押し付けたり、少しマナーに外れた行為をしたからといって声を荒げて難詰するのは逆効果です。相手は登山のルールを知らなかっただけかも知れないですし、まずは穏やかな言葉で教えてあげるようにしてください。山でケンカをしても、誰も得をしないのですから。
登山って、案外孤独じゃないよね
挨拶は登山に限らず、人と人との関係の基本です。都会では人が多過ぎるために見知らぬ人にも挨拶する習慣は廃れた感がありますが、山では当たり前のこととして今でも行われています。
登山では目的地が同じ人に、道中何度も出くわすというのは良くあるのですが、最初に挨拶をしておくと同好の趣味を持つものとしての親近感からか、会話に発展することも良くあります。そのようなコミュニケーションを面倒くさがる人もいますが(自慢話をされるなど)、ちょっとした会話が登山のアクセントになり、登山の思い出に実感を与えてくれたり、思わぬ交友関係が広がることもあります。
しかし、富士山や高尾山のような半ば観光地的な山では、行きかう人が多過ぎるためか挨拶をする人が少ないように思います。
そういう私も、富士山の五合目や山頂、山小屋の前など人が多いところでは、目が会った人に会釈をするぐらいで済ませてしまうことがありますが、登山道では自分から挨拶をするようにしています。
挨拶するのに理由が必要ですか?
この挨拶にも、もっともらしい理由が語られることもありますが、理由を考えるまでもなく挨拶をするのが普通だと思うのでクドクド説明は致しません。
中には「挨拶したのに無視された」なんて気分を害する人も居るそうですが、もしかしたら返事が出来ないほど呼吸が乱れていただけかも知れません。富士山は外国の方も多く登っていますから、日本語が分からないだけかも知れません。挨拶は相手があって成り立つものではありますが、必要以上に拘ることも無いと思います。
しかし、「挨拶を返してくれない人がいるから、自分から挨拶はしない」というのは、ちょっと悲しいことですよね。
挨拶は誰のため?
それでも、「なんで挨拶するの?」と尋ねられたら、私は「自分のため」と答えます。
なぜか?
挨拶って、気持ち良くないですか?
初めて会った見知らぬ人と笑顔で挨拶を交わす、たったそれだけで気分が良くなるのなら、まさに登山は絶好の機会ですから挨拶しないのは勿体無いですよね。そうは思いませんか?
登山道は、基本的に幅が狭いものです。人が二人横に並んですれ違うことが出来ない場所も多々あります。そういうときにどちらが先に通るか迷うこともあるかも知れません。しかし、登山ではどちらが優先されるのか一応の決まりごとがあります。
全ての基本は、安全か否か
富士山では富士宮ルートを除き、登山道が登りと下りで分かれていますが、一部では登下山道が一緒になっているところもあります。特に富士宮口は道が狭く、急な岩場が続くのですれ違いには気を使います。こういうときのルールは、登る側が優先です。これは山頂に向かっているかどうかではなく、あくまでも基本は「斜面が登りか下りか」で判断するものだと思います。
理由はいくつかありますが、私が思うに登りよりも下りの方が転倒しやすかったり、落石を起こす危険が大きいこと。そして、そうなった場合に上に居る側が転倒や落石を起こすと下に居る人に被害が及ぶことなどが挙げられます。
しかし、このルールに捉われ過ぎるのも良くありません。登山道の状況に合わせて臨機応変に対応すべきです。登り坂で疲れている人は道を譲ってもいいですし、安全に行き違える場所に近い方が退避して待つという融通を利かせることもときに必要です。
このとき、譲る側の基本は山側に出来るだけ身を寄せることです。谷側で待つと、相手が躓いた拍子にぶつかられて転落する危険がありますし、路肩が崩れて足を踏み外す恐れもあります。狭い道であれば、相手が安全に通れるように出来るだけ道を広く開けてあげる心遣いをしましょう。
あなたがベテランだと自負しているのなら
しかし、富士山ではこのルールを知らない初心者も多く登っています。道を譲られなかったからと言って腹を立てたりせずに、「自分が譲ってあげたんだ」ぐらいの気持ちでいた方がお互いのためです。これに関して、面白い表現をしているブログがあったので引用します。
こういう考え方、私は大好きです。
山を数多く登っていればそれでベテラン、というわけではありません。みなさんも、"本物の"山のベテランを目指しましょう。
グループの引率者は、対向者の接近に気を払いましょう
また、人数の多いグループとのすれ違いには時間が掛かりますから、グループの先頭を行くリーダーはきちんとグループを統率して、対向者や後ろから追いついてきた人に先に行ってもらうようにしましょう。
小さい子供を連れているなど、歩くのが早くない人が居るグループでも同様です。
顔を上げて前を見る、譲って欲しいときは声を出す
登山は競争ではないのですが、せっかちな人が前の登山者を追い抜こうとしてガイドロープを乗り越え、登山道の外を無理やり通って行くのを見かけます。これはとても危険で迷惑な行為です。落石を誘発したり、植生や土壌を荒らすことになります。待つのが嫌なら、「お先にいいですか?」と一声掛ければいいのです。それもせずに自分勝手な行動をするのは許されません。
先の例に倣えば、人を待つ余裕の無い人は、山のビギナーだと言うことですね。人に道を譲って多少遅れが出てもいいように、時間に融通の利く計画を立てられるようになって初めて一人前の登山者と言えるでしょう。
また、良く見かけるのが、足元ばかりに目が行って対向者の存在に気がつかない人です。
以下の囲みは、私が2013年に神奈川県の大山で見た実際の光景です。
このケースでは、どちらの行動に問題があったのでしょうか?
第一義的に言えば、安全ではない場所から降りようとした女性でしょう。しかし、下山者の存在に気づかずに、続々と登っていった登山者側にも問題があります。
足元に注意がいってしまうのはよく分かりますが、であるからこそ、意識的に前方(上方)へ目を向けることが大切です。あなたの登るのを待ちきれなかった人が落とした岩が、あなたに向かってこないとも限らないのですから。