富士山吉田口一合目下 馬返から登る
吉田ルートは、富士スバルライン五合目から登るルートだけでなく、麓から登るルートがあります。本来は、このルートこそが吉田口登山道として、昔から登られていました。
森林限界よりも下を登るので、深い森の自然の中を登ることになります。富士登山の歴史を物語る数多くの史蹟が残り、知的好奇心を刺激する道でもあります。
吉田ルートは、富士スバルライン五合目から登るルートだけでなく、麓から登るルートがあります。本来は、このルートこそが吉田口登山道として、昔から登られていました。
森林限界よりも下を登るので、深い森の自然の中を登ることになります。富士登山の歴史を物語る数多くの史蹟が残り、知的好奇心を刺激する道でもあります。
馬返の案内図 [2560×1695 0.7MB]
富士山吉田口登山道は今でこそほとんどの人が5合目から登っていますが、5合目から登られるようになったのは1964年(昭和39年)に富士スバルラインが開通して車で中腹まで一気に行けるようになってからのことです。
しかし歴史的にみれば、やはり麓から登るのが本式と言えます。ただ、それだけ距離も長く、時間も掛かるので初心者の日帰りは困難です。一方、山小屋泊まりを前提にするならば、初心者にも決して難しいルートではありません。
麓から登るには、富士山駅近くの金鳥居や北口本宮冨士浅間神社から登り始める場合と、馬返(うまがえし)から登る場合の二つのスタート地点が知られています。このルートは、6合目で富士スバルイラン五合目からのルートに合流します。
登山ルート | |||
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標高 | 山頂3,706m 馬返1,430m | 標準コースタイム | 登り8時間50分 下り4時間40分 |
標高差 | 2,276m | コースタイム実例 | 登り*8時間13分 下り*4時間54分 |
距離 | 登り10.6km 下り? | ||
交通 | |||
バス | 登山バス1路線 | アクセス道路 | 山梨県道701号富士上吉田線 |
最寄り駅 |
| 通行料 | 無料 |
最寄バス停 | 『馬返』バス停 | 駐車料/収容台数 | 無料/20数台 |
*管理人による食事・トイレ以外の小・中休憩時間を含む実測(ストック使用)。 | |||
※標準コースタイムは昭文社発行の『山と高原地図 富士山 御坂・愛鷹』2012年版から引用。基準として①40~50歳の登山経験者②2~5名のパーティ③山小屋利用を前提とした装備(テントを持たず比較的軽量という意味)④夏山の晴天時としています。※食事やトイレなどの休憩(大休止)を含まない正味の時間であり、休憩等を含む実際の登山ではさらに時間が掛かりますので、計画を立てる際には注意が必要です。 ※このサイトにおける「山頂」とは各登山道の終点、つまりお鉢巡りコースとの合流地点とし、最高地点「剣ヶ峰」とは分けて表記しています。各登山道終点の標高は、こちら(静岡県/県道富士公園太郎坊線標高日本一)を参考にしています。 |
ゼロ合目という表現が正しいかどうかは分からないのですが、かつての富士登山は北口本宮冨士浅間神社を起点に行われていました。いわゆる『富士講』という富士山そのものをご神体とする信仰登山が特に有名です。富士講に限らず、富士山は立山、白山と共に日本三霊山のひとつとされています。
また、現在の富士山駅近くに建つ『金鳥居(かなどりい)』は『一の鳥居』とも呼ばれ、富士山山頂まで続く鳥居の最初のひとつ目とされています。金鳥居は俗世界と信仰世界を分かつものとされ、この鳥居をくぐって富士登山に望むことが歴史的な意味での富士登山と言えるのかも知れません。
吉田口登山道の本来の登山口は、馬返ではなく、北口本宮冨士浅間神社となります。本殿右手奥の鳥居が登山口となります。
馬返までの中継地点
浅間神社から中ノ茶屋までは、緩やかな登りのほぼ平坦な道なので、「ゆっくりペース」を守れば余裕のよっちゃんイカでしょう。ただし、標高が低い分蒸し暑いので、水分補給は忘れずに。
『富士山世界遺産ループバス』と『馬返バス』が中ノ茶屋に停まるので、ここから登山を始めることも出来ます。
収容台数 | 40~50台 |
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駐車料金 | 無料 |
収容台数は、当サイト管理人による推測です |
サクラの季節にも
中ノ茶屋周辺は、富士山麓最大のふじざくら群生地で、4月下旬~5月上旬に見頃を迎えます。2014年のGW(ゴールデンウィーク)には、中ノ茶屋の前で桜団子(100円)を販売していました。
吉田口遊歩道の続きは?
中ノ茶屋に寄り道すると、つい茶屋の前の道を進んでしまいそうになりますが、それは車道です。吉田口遊歩道の続きは、車道の一本右になりますので、茶屋の前の仮設トイレ裏に出て、遊歩道に復帰しましょう。
なお、車道は、車二台がどうにかすれ違えるぐらいの幅がありますが、場所によっては一台分の幅に狭まるところや、見通しの悪いところもあります。車道を歩くのは安全とは言えないでしょう。
馬返(うまがえし)
馬返から登る吉田口登山道には、その歴史を示す遺物が数多く残っています。それらを感じながら登るのも、富士山ならではの楽しみ方であると思います。
馬返駐車場までは、富士山駅からバスが通っていますので、ここから登り始めることが出来ます。
吉田口遊歩道は、車道と反対側の駐車場奥に出ます。仮設のトイレは、登山シーズン以外は撤去されているので、注意が必要です。
収容台数 | およそ20数台 |
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利用期間 | 通年(雪に埋もれることあり) |
利用時間 | 24時間 |
駐車料金 | 無料 |
公衆トイレ | [夏期登山期間のみ] 無料:仮設 [和式2] |
その他 | 公衆電話*なし 自販機*なし |
収容台数は、当サイト管理人による推測です。*は2014年に管理人が直接確認した時点の情報です。 |
鈴原天照大神社(すずはらてんしょうだいじんじゃ)
登山口を入るとまず迎えてくれるのが石造の鳥居です。この鳥居を見ると、「いよいよだな」という気持ちになりますね。鳥居の両側には猿が合掌して祈りを捧げる姿を象った石造があります。これは、富士山が一夜にして湧き出たという伝説があり(富士山出現伝説)、その年が庚申(かのえさる)であったことから猿が神の使いであるとされることによります。
現在でも庚申の年は富士山の御縁年(ごえんねん)とされ、その年に登ると一回の登頂で三十三回登ったのと同じ御利益があるとされています。なお、次の庚申は2040年となっていますから、御利益を得られるのはまだまだ先の話ですね。
その奥の禊所(みそぎじょ)を過ぎると本格的な登山の開始です。登山道は最初から意外と急傾斜ですが、さほど時間も掛からず一合目の鈴原社にたどり着きます。
二合目まで
馬返から3合目までの登山道は土の斜面が多く、道の真ん中が洗掘(せんくつ)されて大きな溝が出来ているところをよく見かけます。2011年には、この溝が危険なほど大きくなっていたのですが、2012年には丁寧に整備されて目立たなくなっていました。
しかし、この洗掘はおそらく雪解け水によるもので、春から初夏にかけて雪が残っている間は、日中の日差しで解けた雪が毎日小川を作っているようなものですから、どうしようもありません。それでも、少しでも被害を食い止めようと登山道の各所に排水溝や浸透桝が設置されています。
この浸透桝も、雪解け水や雨水に運ばれてきた泥土が流入して徐々に埋まってしまいます。そのため、定期的に土を除去する作業も行われているそうです。
登山道のこのような荒廃も人が入り込んだためとも言えますが、同時に人の手によって登山道が整備され、登山者が安全に登れるように働いている人が居ることを知っておいていただきたいです。それを思えば、ゴミを捨てたり、登山道の外を歩いて斜面を崩れさせたりは出来ないはずですから。
また、歴史ある登山道の面影として石畳も多く残っています。この石畳が意外と曲者で、慣れないと却って歩きにくく、多くの人に踏まれて石の角が丸く磨かれているので、雨の日には滑りやすく危険でもあります。
富士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)
御室(小室)浅間神社は、富士山最古の神社として西暦699年(文武帝3年)に奉斎したと伝えられています。本殿は、昭和49年に富士河口湖町勝山の里宮に遷祀(せんし)されました。現在は立ち入り禁止となっています。
三社宮
2合目を過ぎてしばらく行くと橋が架かっています。といっても水が流れているわけではなく、かつて噴火で流れ出たのであろう溶岩が固まっているのが見えます。なんとも不思議な光景ですが、ぼんやりしてると気づかずに通り過ぎてしまうでしょう。
その先で、登山道は林道細尾野線と交差します。交差地点から左手に、6~10月だけ設置されている仮設トイレがあります。この先5合目までトイレはありませんので、必要な方はここで済ませておきましょう。
この3合目は、かつて三軒茶屋、あるいは麓から登ってきた人がちょうど昼食を食べるころにたどり着くため中食堂(ちゅうじきどう)とも呼ばれていました。今では廃屋が残るだけですが、見晴らし茶屋と蜂蜜屋という二軒の茶屋と、三社宮が並んでいました。三社宮には、道了(どうりゅう)・秋葉(あきば)・飯綱(いづな)が祀られていたそうです。
この3合目には、テーブルやベンチが備えられていたようですが、今ではバラバラに壊れています。これは不届き者が壊したわけではなく、冬の降雪で押し潰されてしまったのでしょう。
井上小屋(御座石小屋)
富士山にふられた『合目』は時代と共に変化して来ており、特に4合目の位置をどこと定めるかは難しいものがあります。現在では旧井上小屋が4合目5勺と認識されているようですが、ここを4合目と表示している地図もあります。写真で見られるように、井上小屋の営業当時は5合目とされていたようです。ややこしくて混乱しますよね。
かつては、この井上小屋の下に大黒小屋(大黒室)と呼ばれる山小屋があり、そこを4合目としていましたが、現在建物は残っていません。
井上小屋に向かって左手には、御座石と呼ばれる神が依りつくとされた岩があり、信仰の対象となっていました。今でも富士講によると見られる、岩に刻まれた『日本橋』の文字が残っています。
五合目まで
登山道は、登るにつれて岩が多くなって来ます。溶岩の固まった一枚岩の上は、雨のときなど濡れていると滑りやすいので気をつけてください。この先は中宮と呼ばれ、四軒の山小屋があったそうですが、今では廃墟と化し、今にも崩れ落ちそうです。
さらに進むと雲切不動神社のお社がポツンと建っています。そこを過ぎると舗装された滝沢林道に出ます。ここで林道を数分歩いて、また登山道に戻りますが、この登山道に戻るところが少し分かりにくくなっています。道路にはスプレーで矢印が書かれているので見落とさないようにしましょう。ただし、見落としてそのまま進んでも下の写真にある5合目標柱のところに出るので問題ありません。
やがて二度目に滝沢林道と交差すると、5合目の標柱が見えます。標高は2,305mとなっていますが、明らかにそこまでの高さには到達していません。この上の佐藤小屋が標高2,230mですから、2,210mほどです。2,305mというと富士スバルライン五合目の標高と同じですが、なぜここに5合目の標柱があるのか、よく分かりません。
六角堂
星観荘から6合目の間には、経ヶ岳があります。この名称は、日蓮上人(にちれんしょうにん)が自書による『法華経』を埋経した場所であることに因みます。
この地には八角堂(常唱殿)と、日蓮上人が説法を行っている姿の銅像が立っています(この場所はなぜか『六角堂』と呼ばれています)。常唱殿は意外に新しく昭和28年に建てられました。
日蓮上人像の台座にある『立正安国』とは、国を安んずる(安泰(あんたい)にする)ためには、まずは正法、つまり正しい仏法を立てることが必要であるとの意味です。日蓮上人の生きた時代はちょうど元寇(げんこう)のころで、世情不安な時代でもあったようです。
姥ヶ懐
六角堂から少し進むと姥ヶ懐(うばがふところ)入口の石碑が建っています。この石碑から少し下り、右手に進むと、かつて日蓮上人が篭って100日間の修行を行ったという洞窟があります。今はその洞窟の前に茅葺屋根のお堂が建てられています。なお、姥ヶ懐入口の石碑から少し降りて、その先を左手に進むと少し下の登山道に戻ってしまいます。つまり、また登り返す必要があり、無駄なだけなので気をつけてください。
そのさらに上には宝塔がありますが、こちらは1983年(昭和58年)に立正大学法華経文化研究所が建てたもので、『梵文法華経写本集成』十二巻が埋経されています。
六角堂を過ぎるとほどなく6合目にたどり着きます。6合目の手前で一気に山頂までの展望がひらけるので、否が応でも気持ちが盛り上がります。ここからは登山シーズン中であれば、それまでとはうって変わって人が増え、賑やかになります。
5合目から帰ろう
馬返から山頂まで登った場合、登山初心者の方は帰りも馬返まで下るのは体力的に厳しいかも知れません。
車で来て馬返の駐車場に停めたのでなければ、富士スバルライン五合目から帰るのが体力的にも時間的にも、また膝への負担という意味でも楽でしょう。馬返まで下る計画であっても、万が一を考えて、富士スバルライン五合目から出ているバスの時間やタクシー代を調べておくことをオススメします。
車を利用する場合は、富士山駅もしくは、シャトルバス乗換駐車場の富士北麓駐車場に車を停めて、バスで馬返駐車場まで先に移動して登った方が、帰りに馬返駐車場まで車を取りに戻るよりも楽でしょう。
スリップに注意
吉田口登山道は6合目から下では下山道が別れていないので、馬返まで下る場合は登ってきた登山道をそのまま下ることになります。特に難しいところはありませんが、雨などで地面が濡れているときはスリップに注意してください。
濡れている石に足を載せるときも、石の平らなところではなく、エッジ(角)に靴裏の溝を引っ掛けるようにすると滑りにくくなります。