心肺蘇生法とは、何らかの理由により心肺停止及び、心室細動に陥った傷病者の心拍を正常に復させるために行われる一連の行動として定められたものです。
心肺蘇生法(CPR:Cardio Pulmonary Resuscitation)において、一次救命処置(BLS:Basic Life Support)は、特別な資格や経験がない一般の人(市民救助者=バイスタンダー)でも行うことが出来ます。 ただし、最低限の知識は身につけておくべきです。一次救命処置のやり方はガイドラインによってパターンが確立されているので、心肺停止の状況であれば順番通りに手順を踏むことで迷いなく実行出来るものです。
最低限の知識として必要なのは、次の三点のみです。以下の細かい内容を読むのが面倒であれば、これだけ覚えておいてください。
呼吸をしていても、通常とは違う不自然な呼吸であれば心肺蘇生(AEDの使用を含む)を行う必要がある
心肺蘇生(胸骨圧迫=心臓マッサージ)は、胸の真ん中を強く、速く、絶え間なく押す
人工呼吸よりも胸骨圧迫を優先して行う(胸骨圧迫だけでも良い) (但し、溺水や小児、幼児に対しては人工呼吸優先)
Check Point!
救命行動の手順
肩を叩きながら呼びかけて意識の有無を確認します
意識がなければ* 救急車を要請し、AEDを持ってきて貰うよう周囲に呼びかけます。(※注意:この場合、AEDが必要かどうかの判断はあえて行いません。空振りとなってもいいので、もしもの場合を考えてください。 )
口の中に異物があったり喉が詰まっていれば、身体を横に向けて掻き出すなどして除去します
気道を確保するため仰向けに寝かせ、頭を後ろにのけ反らせてアゴをあげます(ガイドライン2010では、訓練を受けていない市民救助者による気道の確保は省略されています。そこで時間を浪費しないためと、出血がある場合の感染予防を考慮してのことです。同様の理由で脈拍の確認も行いません。)
気道の確保をした状態で呼吸を確認します
呼吸がない、若しくは、しゃくりあげるなど不自然な呼吸(死戦期呼吸)であれば 、胸骨圧迫を開始します
(* 当然ですが、山中では救急車は呼べませんし来てくれません。富士山では吉田ルートと富士宮ルートに救護所があり、開設期間中であれば24時間体勢で医師がつめていますので、すぐ近くであれば人を走らせ、少し離れていれば山小屋から連絡して貰うといいでしょう。)
胸骨圧迫(きょうこつあっぱく=心臓マッサージ)の手順
要救護者を仰向けに寝かせた状態で、上体の横に救命者が膝をつきます
胸の真ん中に手のひらの付け根を置き、もう片方の手を重ねます(この段階では衣服を着せたままで行います)
肘を真っ直ぐに伸ばし、手のひらの付け根に体重をかけて5cm以上沈むように強く圧迫します
1分間に100回以上の速いテンポで絶え間なく圧迫し続けます(疲れて手が止まる前に他の人と交代してください。遠慮している場合ではありません)
圧迫と圧迫の間は、胸がしっかり戻るまで十分に圧迫を解除します
要救護者が蘇生するか、救急隊に引き継ぐまで絶え間なく続けます
AEDが到着したら、心臓マッサージを続けながら AEDの準備をして切り替えます
8歳未満の子供は体の大きさや骨格の強さが大人と異なるので、やり方や手順に注意を要します。
乳児(1歳以下)の場合、意識の確認は足の裏を軽く叩いて反応を見ます。気道の確保を行う際は、乳児・幼児の頸椎は非常に柔らかいので強く頭部を傾けると却って空気の流れを妨げたり、首を傷めることもあるので注意が必要です。
心臓マッサージは、乳児に対しては指1~2本で1~2cm押し下げます。幼児に対しては、片手の手のひらの付け根で胸の厚みの3分の1まで押し下げます。
VIDEO
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ここまで見てきて、人工呼吸に触れていないことに気が付かれたでしょうか?
実は最近言われていることに、人工呼吸を行わなくても蘇生率は変わらないという意見があります。いえ、むしろ「人工呼吸は行わない方がいい場合もある」ということのようです。
なぜ人工呼吸が不要かについては、「人の呼気では充分な酸素を供給できないから(酸素缶を使うのは有効か?)」「心臓マッサージによる胸部の圧迫と開放により、肺に空気が送り込まれるから」「一人で心肺蘇生法を行っている場合は人工呼吸を行っている間、心臓マッサージが行えない。むしろ、心臓マッサージだけをやり続けた方が救命率が高まる」ということが言われています。
Check Point!
医療ニュースより引用
救急蘇生術における人工呼吸は効果なし:日本救急医学会
突然意識を失って倒れた人を蘇生させるための応急手当は、心臓マッサージだけで効果があり、従来勧められてきた人工呼吸は必要ないことが、日本救急医学会関東地方会の研究班の調査で分かった。
研究班は02~03年、関東各地の病院と救急隊の協力を得て、そばに人がいる状態で突然心臓が止まって倒れ、救急車で病院に運ばれた18歳以上の患者4068人を調べた。そばにいた人から人工呼吸と心臓マッサージを受けた患者が712人で、心臓マッサージだけを受けた患者は439人。救急隊到着まで蘇生措置を受けなかった患者が2917人だった。
倒れてから30日後の時点で、介護なしで日常生活が送れる状態に回復した割合は、両方受けた患者が4%、心臓マッサージだけの患者は6%で、人工呼吸なしでも変わらなかった。一方、蘇生措置なしの患者は2%にとどまった。
患者の約9割を占めた救急隊到着時に完全に呼吸が停止していた人に限った分析では、回復率は心臓マッサージだけの患者が6%だったのに対し、両方受けた患者は3%で、心臓マッサージだけの患者の方が回復率が高いとの結果になった。
人工呼吸は不要との結果について、長尾班長は「呼吸が止まっても12分程度は血液中の酸素濃度がそれほど下がらないことや、心臓マッサージの際の胸の動きで、空気が肺に送り込まれることなどが考えられる」と話している。心臓マッサージは、救急隊が来るか、AED(自動体外式除細動器)が届くか、患者の体が動くまで続ける。1人では消耗するため、2分程度をめどに交代で行うとよいという。(毎日新聞)
もしも、人工呼吸に抵抗を感じて救命処置を逡巡するのであれば本末転倒です。そんなことを気にして救命措置が取れないのであれば、心臓マッサージだけでも行ってください。何もしないよりは、はるかにましです。ですので、あえてこのページでは人工呼吸の方法は省いて説明しています。
しかし、救命医療に関するガイドライン2010では、訓練を受けた救助者が人工呼吸を行うことは今でも推奨されていますので、人工呼吸が必要だと思う方は上記リンクのサイトなどを参考にしてください。もしかしたら、富士登山者で携帯していることが多い『酸素缶』を利用するのは有効かも知れません(責任は持てませんが)。
上で述べたように救命行動は特別な資格を持たない一般人でも行えます。ですが、万が一に備えて具体的な方法を講習という形で経験しておくと安心です。各地域の消防署で定期的に救命講習が行われている他、防災協会や防災センターや市区町村主導で救命講習を行っている地域もあります。教材費が掛かる地域もありますが、命の値段として考えれば安いと言えるでしょう。
特に引率者(リーダー)の方は大きな責任を負う立場ですから、必ず講習を受けておかなければなりません。
何か事が起こったときに、「知らなかったから何もしなかった」では済まされないのです。
Check Point!
救命講習
実施日
主に月1回、土曜日や日曜日の他、平日にも行われるなど地域によって異なります。
申し込み
対象地域に居住、通勤、通学している中学生以上、個人でも団体でも事前に申し込みが必要です。
別途、小学校高学年を対象とした講習もあります。
受講料
基本的に無料、地域や主催団体によっては教材実費分の負担が必要です(東京都の場合、普通救命講習1,400円)。
講習内容
講習にはいくつか種類がありますが、まずは『普通救命講習Ⅰ(3時間)』を受けておけばいいでしょう。
他にも、小さな子供(乳幼児)に対する蘇生法に特化した講習もあります。
心肺蘇生法
気道異物除去
止血法
AEDの取り扱い方など
講習の詳細については、お住まいの地域の消防署や市区町村のサイトなどでご確認ください。それにしても、他の地域は無料なのに東京都は有料ですか。オリンピックの招致に莫大な金を使う前にやることがあると思うのですがね。
他にも、日本赤十字社や、JAF(日本自動車連盟)など各種団体主催による講習も行われています。
そのとき、あなたはどうしますか?
日本では文化的に「困っている人は助けましょう」という考え方が浸透しているようです。しかし、世界的にみれば人を助ける行為は任意であるとの考えが一般的なようです。これは、ときとして「困っている人を助けないのはけしからん!」という極端な世論が巻き起こる日本とは一線を画しています。
近年も、中国で交通事故に遭った少女を誰も助けようとしなかったというニュースに対して、日本のネットでは人種差別的なニュアンスも含めて、「傍観者叩き」が行われました。果たして、人助けは『義務』なのか、『任意』なのか、みなさんはどのようにお考えでしょうか?
実際には、「その場になってみないと自分がどのように行動出来るかは分からない」というのが現実だと思います。
中国のケースでは、通報もしなかった、他の車を止めることもしなかったなど、全くの無関心な様子が問題視されもしました。確かにそれは非難に値するとしても、では『どこまで助ければいいのか?』というのは極めて難しい命題であることも確かです。というのも、人を助ける行為には相応の『リスク』が伴うからです。
人を助ける行為のリスク
例えば、地下鉄サリン事件では救護に当たった人も毒ガスに倒れました。交通事故に遭った人を助けようとすれば、その人も車に轢かれるリスクがあります。同様に、登山中に落石で負傷した人を助けるには、自らも落石の危険に身を晒す必要もあります。血が出ている人に触れれば感染症の危険があり、人工呼吸を直接口で行った場合も唾液による感染の危険があるのです。
人助けが義務ではないとしたら、そのようなリスクを他人のために躊躇わずに負うことが出来るでしょうか?
いえ、自分がどうこうでなくても、他人の行動を批判する資格が我々にはあるのでしょうか?
現実には、傍観者の側が、人を助けようとする人を掣肘(せいちゅう)したり、ヤジを飛ばしたりすることもあるそうです。
他人を助けるという行為は、それだけの『覚悟』が必要なのです。以下のブログに書かれている「人助けはきれいごとではない」という指摘に、私も「ハッ」とさせられました。私にこのようなページを書く資格があるのかと自問自答もしました。
ただ、それでも救命行動の知識や能力があるのであれば義務としてではなく、善意の発露として傷病者に手を差し伸べて貰いたいと思いますし、その知識や能力を身につけるべく積極的に学ぼうとするのは良いことであると思います。
なぜならば、人は誰しも、「いつかは助けて貰う側になるかも知れない」からです。「そのときには自分を助けて貰いたい」という気持ちが少しでもあるのであれば、自らも率先して人助けをしてもバチは当たらないと思います。しかし、人命救助をしなかったからといって、他人を誹謗中傷したり、自分を責めたりすることも違うと思うのです。
助ける義務がある人もいる
但し、職務として人に係わる立場の人(生徒を引率した教員など)、有償無償を問わずガイドを行ったり引率する立場の人(リーダー)には大きな責任が伴います。そのような人は、『任意の人助け』ではなく、『救護の義務』があることを良く理解する必要があるでしょう。
このページを読んだ人は、『人助けのリスク』についても考える機会を持ってください。それでも人助けをしたいという人を、私は応援します。また、自らも人助けを行える人でありたいと思います。そして、微力でも私のサイトが他人を助けようとする人の役に立てば、これに過ぎる喜びはありません。