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LastUpdate 2016/04/28

富士山遭難事故の記録 1972年 3月20日

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富士山で起きた遭難事故をまとめています。

富士山大量遭難

1972年に富士山で大量遭難事故が起こりました。40年以上も前の出来事ですが、これを昔話と思ってはいけません。今も昔も、富士山の厳しさに変わりはないのですから。

この遭難については、『近・現代 日本気象災害史』(著者:宮沢清治/イカロス出版)でも触れられているようです。

News!

防災情報新聞からの引用です。

富士登山大量遭難死(40年前)

1972年(昭和47年)3月20日
日本山岳史上、一般の登山者による最大の大量遭難が、それも日本のシンボル富士山で 起きた。
その日山陰沖で、午前3時頃から台風並みに急速に発達した低気圧が、 日本海を北東方向に進み、この低気圧に向かって強い南風が吹き込むという典型的な“春一 番”が全国的に吹き荒れた。特に富士山では19日夜半から横殴りの冷たい雨が降り、翌日 も前夜からの雨が降り止まず、午後になると風速31~35m/秒の猛烈な風雨となり、瞬間 風速50m/秒という突風が吹いたという。
そのため雨に対する装備がほとんど無 かった遭難者の濡れた身体の体感温度は、マイナス30~40度になったと推定され、体力を 急速に奪われた。
遭難した静岡頂山山岳会の9人は、ビバーク(野宿)していたが 防水の装備がなかったためびしょ濡れになり、朝方下山したが、激しい雨に打たれ7人が睡 眠不足と疲労で凍死した。清水勤労者山岳会の11人は、風雨の合間を見て単独登山者とと もに下山したが、午後になり強い風雨のため7人が衰弱して死亡、5人が雪崩に襲われてば らばらになり1人がようやく御殿場署にたどり着いた。そのほか6人が行方不明となったが 雪崩による死亡と断定されている。当時55人が登山中でそのうち半数近い24人が死亡・行 方不明となった。(出典:宮澤清治著「日本気象災害史」、さんきのつぶやきNo.169「突風・富士山大量遭難」ほか)

Report

ビタミンU(遊)摂取記録からの引用ですが、元記事は気象と災害というサイトのようです。そのサイトはすでにリンク切れとなっているようなので、こちらを孫引きさせていただきました。

1972年3月20日富士山大量遭難について

2006年06月27日

富士山で亡くなった叔父の遭難について調べてみる気になりました。
祖母の家に遊びに行ったとき、稀に少しだけ話題になることはあったけれど、そんなとき、祖母も母もとても辛そうなので、今まで詳しく尋ねたことはありませんでした。
小さい頃から今までに聞いた話では、「事故当日はとても悪いコンディションで小屋の中に避難していたのだけど、翌日どうしても外せない仕事がある人がいたため、、リーダーが下山を決断。小屋を1歩出たら、猛吹雪でほんの1m後ろにあるはずの小屋に戻ることができず遭難してしまった。」ということ位しか知りませんでした。
検索結果は、自分の記録に残しておきたいことと、自然の中で遊ぶ上で大切な情報もあったので、ここに記すことにします。
特に「気象と災害」のサイトでは、富士山大量遭難の例以外にも、さまざまな気象状況での災害や事故が紹介・分析され、自然の怖さを見せつけられました。
私も山・川・海など自然の中で遊ぶことが多いので、自然の怖さを知り、無理をしないこと、勇気ある判断をすることの大切さを改めて感じました。

<一部抜粋>

以下、リンク先をご覧ください。

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